訪問日:2019年6月27日
炭鉱輸送を主目的として網の目のように敷設された、筑豊地方の国鉄路線のひとつです。いわゆる「枝線」ではなく、筑豊本線(飯塚)と日田彦山線(豊前川崎)を短絡する今でいう後藤寺線のような立ち位置の路線でしたが、炭田の衰退後は大きな旅客需要もなく、分割民営化後ほどなくして廃止に至りました。
駅周辺に目立った遺構はありません。川崎町のコミュニティバスで真崎(まさき)へ向かいます。
真崎駅跡。ホームや当時の駅名標、果ては構内の車止めまでもが残され、鉄道のあった時代の面影を偲ぶことができます。
駅名標。字が掠れてしまってはいますが健在です。折れ曲がっている場所から裏を覗くと、なんと更に古い木製の駅名標がありました。マトリョーシカかな?
そのまま飯塚方面に向かって歩き出します。廃線後の路盤を利用して整備された遊歩道が暫く続きます。
道幅はそれほど広くはありません。単線だし仕方ないかな。
途中でニワトリに遭遇。でっか!というか家禽が公道に逃げ出してるの普通にまずいんじゃないですかね...飼い慣らされてはいるんやろうけど。
上山田線が車道をくぐっていたトンネルです。近くには1959年8月の刻印が。
上山田〜豊前川崎間の開業が1966年なので、この辺りの路盤が着工され整備されたまさにその時に刻まれたものなのでしょう。
田川郡域と嘉穂郡域をまたぐ熊ヶ畑トンネル。これを抜ければ飯塚側の熊ヶ畑駅ですが、残念ながらここで行き止まりとなっていました。
枕木がしっかりと残っています。地味ながらも、炭鉱で栄えた町々の足跡を残す良い廃線跡でした。