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9月4日。宗谷本線を完乗すべく旭川の宿を発つが、引き続き空模様は芳しくない。大粒の雨も降り始め、川は濁流となって岸を削る。そんな中でも列車は宗谷路を北へ北へと駆ける。
鉄路は名寄辺りから天塩川と並走。灰汁色の水面を横目に、最果ての地へ思いを巡らせる。恵みの大地には牛たちが遊ぶ。
牧草地と、牛。
サロベツ原野と、牛。この道北だけでもいったい何頭の牛たちが命を繋いでいるのだろう。下手すれば人口より多いんじゃないか、などと考えているうちに早朝からの雨は次第に勢いを弱めていった。
抜海(ばっかい)を過ぎると、宗谷丘陵の高台から日本海のパノラマが左手に広がる。最北の鉄道の大トリと言って差し支えない名車窓である。分厚い雲の切れ端に、利尻富士の裾野も辛うじて見える。
旭川から実に6時間を経て、終着の稚内に到着。一度に1列車しか入れない簡素なホームには、北の終着駅を謳う文言が所狭しと並んでいる。それにしても、ここに来て枕崎の文字を目にするのは予想外だった。
駅を出ると、車止めの先にも線路が伸びていた。稚内と樺太とを結ぶ稚泊航路の全盛期、その船着場までレールが引かれていた名残だという。
せっかくなので北の海の幸にも舌鼓を打つ。やはり海鮮丼は鉄板だ。
稚内自体はそんなに大きな街ではなく、湾の西岸にへばりつくような形の市街を徒歩で突っ切るのも容易い。1つ旭川寄りの南稚内駅まで歩いて復路につく。長く滞在できないのが名残惜しいが、限られた列車の本数を加味するとこれが妥協ラインである。
前日と同じく旭川に宿を取った。