前回の続きです。
大行司駅の次に向かったのは筑前岩屋駅。日田彦山線の線路は彦山駅との間の山岳地帯を釈迦岳トンネルで貫いていますが、並行して峠を越える道路が低規格で大型車両の行き来が難しいため、代行バスは大きく西側に迂回するルートをとります。そのため、添田方面から筑前岩屋へのアクセスはかなり煩雑なものとなってしまっています。
筑前岩屋駅前のバス停から宝珠山川を跨いで駅舎側へ向かう道路のいくつかは(おそらく水害により)寸断されていました。2か月あまりが経った現在では橋は完成しているようです。ただ、この地に再び日田彦山線の汽笛が響くことになるか否かは未だ議論の最中であり、この橋が駅の利用客を渡すという日の目を見られるのか複雑な心境にもなってしまいますね…
向かって奥側が日田方面、手前が添田・小倉方面です。見ての通り添田方面の線路が剥がされ、車止めが設けられています。長大トンネルを抱えるこの区間の整備や保線に莫大な費用がかかることは想像に難くありませんし、鉄道での復旧よりバス専用道としての再起を図る妥協案も現実味を帯びてきているのかもしれません。
再び大行司駅へ戻り彦山方面へ。
■彦山 ひこさん -JR日田彦山線
山岳信仰の対象として名高い英彦山(ひこさん)の玄関口として栄えた駅です。無人駅になってしまってはいますが、立派な駅舎は戦前から残る建築で、近隣で発生したかの二又トンネル爆発事故(wikipedia)では半壊に至りながらも耐え抜いて現在に至ります。
駅から南へ徒歩20分ほどの場所にある「爆発踏切」も事故の名残として命名されたもの。彦山駅方面に見える写真の切通しは「事故現場である二又トンネルが爆発して山ごと吹き飛んだ痕跡」なのです。ちょっと理解が追いつきませんね…
この壮絶な事故にまつわる慰霊碑なども近くに建立されているようです。戦後の混乱の中で起きた悲劇として、風化することのないよう語り継がれていくことを切に願っています。
この後は引き続き次の代行バスで添田駅へ。そのまま折り返しの小倉行き列車に乗り、次の目的地へ向かうべく筑豊の地を後にしました。