なまずのねどこ

ちょっとオタク寄りな旅の記録。B級スポットとか県境とか駅とか魚捕りとか。常にどこかに出かけていたい負け組大学生。

啓蟄の北海道クルマ旅 6日目(3/10) 釧路→広尾→様似→苫小牧


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前回の続きです。

 

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釧路の快活CLUBに泊まり、7時頃出発。幣舞公園から市街地を眺めてから、西に進路をとりました。

 


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白糠町の庶路駅。使われなくなったホームに国鉄時代からの駅名標が残されています。

 

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浦幌町より南西の太平洋沿いには鉄道もなく、断崖と砂浜が入り混じる人口希薄地帯が続きます。

 

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この日の目玉、旭浜トーチカ群。大樹町付近の海岸には戦時中に使われたトーチカ跡が残されており、ちょっとした名所となっています。数百m離れた旭浜漁港に車を停め、歩いて向かいました。現地へ向かう道中では雪がまだかなり残っていたので、スノーシュー等あった方が楽にアプローチできるかもしれません。

 

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道中にはこんな看板も。長閑ですね。

 

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広尾町の中心部に近づくと、段丘崖で市街地と隔てられた巨大な港が見えてきました。十勝港です。人口規模を考えると不釣り合いな大きさにも見えますが、日本有数の農業地帯である十勝平野から各地に農産物を輸送する中継地点として重要な使命を負っています。

 


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広尾バスターミナル。帯広から伸びていた国鉄広尾線の終点・広尾駅の駅舎が2018年までターミナルビルとして転用されていましたが、現在は解体され二回り小さい建物になっています。周辺は鉄道記念公園となっていますが、同じ広尾線の忠類駅跡のようにめぼしい遺構が残されているわけではありませんでした。

 

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広尾町から南側は砂浜が徐々に途切れ、荒々しい岩礁の海岸が襟裳岬まで続きます。

 

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13時半頃に襟裳岬に到着。期待を裏切らない景色ですが、歩くのも辛いほどの猛烈な風が吹き荒ぶ有様で早々に移動。

 

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北緯42度線の碑。思わず車を停めて撮影。

 

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様似駅日高本線の被災により、もうこの地にディーゼルカーの汽笛が響くことはありません。2015年の被災以降復旧がなされないまま、3月31日をもって正式に廃止されてしまいました。

 

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様似町中心部の西側の高台にある観音山展望台からの眺め。様似の街並みとエンルム岬の陸繋砂州(トンボロ)が目前に広がっています。この地形が天然の良港を形作り、寄港地として様似の町が形成されていったと考えると興味深いです。

 


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日高本線沿いを西に走り、立ち寄った大狩部駅で日没を迎えました。ここは前にも来ましたが、目の前が海というロケーションも手伝って、本当に夕日が似合う駅だと思います。

 

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ホームの西側には、高波で破壊された線路が被災時のまま放置されていました。

 

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鵡川から少し内陸に入り、富内線春日駅跡を訪問。ホームと駅名標がそのまま残され、駅舎はバス停の待合所として現在も使われています。

そこからさらに西に進んで5日ぶりに苫小牧に戻り、市内の自遊空間で宿泊。


次回に続きます。