前回の続きです。
翌朝、真狩を出て隣町の京極へ。湧水の町として知られ、羊蹄山麓の湧水地を公園化したふきだし公園なるスポットがあります。セコマの2リットル水も京極の名水ですし、さしずめ関西人にとっての「六甲のおいしい水」のようなポジションなのでしょう。
ふきだし公園から尻別川を渡った京極町市街地の湧学館。町立の図書館と郷土資料室を併設した施設です。公式サイトでは開館は9時となっていましたが、その辺りはアバウトなのか8時半ごろでも入館させていただけました。
展示コーナーは1階と2階に分かれ、「農業」「教育」「駅」などカテゴリごとに小綺麗に整頓されている様子はさながら博物館です。廃線関連では町内を走っていた国鉄胆振線にまつわる品々が展示されています。
お次は共和町の小沢駅を訪問。かつてはニシン漁で栄えた港町・岩内への国鉄岩内線の分岐駅であり、ホーム跡が残されています。
木造の跨線橋や乗り場案内の字体 (「凾」に注目。「倶」も独特な字形ですね) など、全体的に歴史を感じさせる造りの駅です。
同じ共和町内の幌似駅跡は鉄道公園として整備され、駅舎や線路、客車などが残されています。役場などへはこちらの方が近く、山あいの小沢より栄えているため、町の中心駅としての立ち位置だったと思われます。
こちらは岩内町の郷土館。港町だけに、漁業に関する展示が主体でかなりの物量があります。国鉄岩内線の遺品はさほど多くはないものの、ヘッドマークなどが収蔵庫に保管されていました。
現在の函館本線(山線)のルート選定にあたって、当初は黒松内から日本海側に出て岩内を通るルートも候補として想定されていたようですが、1896年に設立された函樽鉄道の計画では内陸の蘭越や倶知安を経由して敷設されることとなっており、岩内の人々は大層落胆したといいます。その後小沢駅から分岐する形で岩内線が開業することとなりますが、モータリゼーションの進行に加えて沿線の漁業や鉱業の衰退も収益の低下に追い討ちをかけ、1985年に廃止されて現在に至っています。
岩内からは真っ直ぐ小樽方面へ向かわず、積丹方面へ北上。途中で通過する泊村・神恵内村は古宇郡という聞き慣れない郡名です。古くはこの辺りを指す広域地名としてフルウと呼称したようで、神恵内村中心部を流れる川の名も古宇川となっています。
断崖絶壁を貫いたトンネルで僅かな平地を縫って走るような道が続きます。
岩内から1時間足らずで積丹半島随一の景勝地・神威岬に到着。平日でしかも霧雨がぱらつく微妙な天気にもかかわらず、観光客でそこそこ賑わっていました。
岬の先端部の神威岬灯台へは、駐車場から1kmほど遊歩道を歩く必要があります。足場がしっかりしているので安全で歩きやすい道なのですが、視界を遮る物が全くないためそれなりにスリリングな気分を味わえます。
道中ではヒメマイマイがそこかしこに見られました。
続いて半島の北端、積丹岬へ。積丹岬灯台や日本の渚百選の島武意海岸があります。神威岬ほど長い距離を歩かされるわけではないですが、勾配が大きいので焦らず休み休み行きましょう。
積丹岬周辺一帯の地名は「入舸(いりか)」。ダムが有名な美利河(ぴりか)などの似通った地名があるのでアイヌ語の音写だろうと思い込んでいたのですが、どうやら実際は和語地名で、岬南側の奥まった入江の地形が船溜まりとして利用されたことによるもののようです (舸=ふね、おおぶね) 。
雨足も強まり始めていたので、そのまま札幌まで移動してこの日はお開きとしました。
次回へ続きます。