前回の続きです。
札幌から朝一で向かったのは三笠市のJR幌内線・萱野駅跡。前回も立ち寄ったのですが、その際は積雪のため足を踏み入れることすら困難な状態でした。幌内線は岩見沢から分岐していた二股の線で、北海道で最初に敷設された鉄道の一部区間でもあります。幌内炭鉱からの石炭の輸送を通じて沿線の発展に貢献しましたが、エネルギー転換と過疎化の波には勝てず、民営化後間もなく廃止となっています。
駅舎は廃止当時の姿を残したまま、ライダーハウスとして再利用されています。施錠されているため、駅跡を管理されている近隣の民家で鍵をお借りして見学しました。
同じ三笠市の三笠鉄道村。かなり山の方に入った立地ながら立派な博物館があるほか、廃線跡を活用したトロッコの運行が行われています。
展示内容は幌内線のみならず道内各地の鉄道の歴史や廃線について多岐にわたり、壁一面に並ぶ縦型駅名標の数々は圧巻です。
クロフォード公園。鉄道村の三笠市街地側にある公園で、北海道に鉄道技術をもたらしたアメリカ人技師の名から取られています。三笠駅(幌内太駅)のあった場所にあたり、旧駅舎は売店として活用されています。
炭鉱町の例に漏れず、市街地の衰退が著しいです。老朽化した建物が目立ち、人口も1万人を割っています。札幌圏から近く、道央道のICがあるなど、交通の便が比較的良いことはせめてもの救いといえるでしょうか。
化石の産地としても知られ、アンモナイトのオブジェが所々にありました。
国道をさらに北上して上砂川町へ。
こちらも前回冬季休館中で入れなかった上砂川駅跡の再訪が目的です。
独立した路線ではなく函館本線の支線として扱われていたため、廃止対象路線の選考から漏れ、隣接する歌志内線よりも生き永らえたという経緯があります。そのため、駅名標も国鉄時代からのものではなくJR北海道仕様となっています。
道中でお昼を食べつつ、石狩川を渡って新十津川町へ向かいました。ここでは開拓記念館を訪問。新十津川という町名は、1889年の水害で生活基盤を失った奈良県十津川村の住人たちによって拓かれたことに因むもので、館内の展示でも彼ら開拓民の暮らしを体感することができます。
昨春に部分廃線となった札沼線に関する展示も、少な目ながらしっかりありました。上徳富、中徳富はいずれも新十津川町内に所在していた駅です。
その後、いくつかの札沼線の廃駅を見て回りました。写真は浦臼町の於札内駅。駅待合室に貼られた古い駅名標が残されています。レールはまだ撤去されていませんが、これから工事が行われるところなのか、かつてのホームも含めて立入禁止となっていました。
栗山経由で千歳へ戻り、今回の行程は終了。翌日からは本来の目的である就活関連の予定に追われることとなるのでした…