訪問日:2019年6月28日
現在は鉄道空白地帯となっている熊本県中東部ですが、国鉄南熊本駅から砥用(ともち。現在の下益城郡美里町)を経て宮崎県の延岡までを結ぶ壮大な構想がなされた時代もありました。その名も「熊延鉄道(ゆうえんてつどう)」。現在の熊本バスの前身でもあります。
山間部の砥用までが開業に漕ぎ着けましたが、九州横断鉄道としての計画は頓挫し、南熊本〜砥用間も1964年に全線廃止となってしまいます。そんな熊延鉄道の遺構を巡ってきました。
南熊本駅から1時間ほどバスに揺られて目磨(めとぎ)で下車。この辺りがかつての釈迦院駅の近辺です。ここから川沿いに下っていきます。
駅舎などは跡形もないですが、駅名標が残されていました。半世紀以上前のかなり貴重なものです。
平地に乏しい谷沿いという地理的環境から、農地は大半が棚田となっています。人口密度も高くはなさそうで、鉄路の存続が厳しかったのも頷けます。
2kmほど下ります。廃線とは直接関係はないですが、馬門橋(まかどばし)という指定文化財となっている古い石橋。苔むして見事に森に溶け込んでいる素晴らしい橋です。下を流れる美しい渓流も必見です。
馬門橋近くの佐俣の集落付近に、立派な橋台がありました。鬱蒼とした森の中にひっそりと佇んでいるので場所はかなり分かりにくいです。
少し下流にある、これまた同じような橋台。線路はここで川を渡っていたようです。
二俣橋と呼ばれる見事な橋。ちょうど川の合流地点に架かっており、根元が繋がっていることから命名されたようですね。時間帯によって橋の影がハート形に見えるらしく、恋人の聖地を謳う看板が随所にありましたが……名前的にそれはどうなんだ。
無論レールは剥がされているものの、路盤がそのまま残されていました。現在は車は進入禁止となり、散策路として整備されています。
この辺りの熊延鉄道跡を代表する構造物である珍しい形のロックシェルターは、八角トンネルと通称されています。互いの間隔はかなり開いており、落石よけとしてちゃんと機能していたのかはかなり怪しいですが……
探索はここまでで切り上げ、バスで熊本市街に戻り宿泊。半世紀も前の私鉄線にしてはかなりボリューミーな遺構群でした。