なまずのねどこ

ちょっとオタク寄りな旅の記録。B級スポットとか県境とか駅とか魚捕りとか。常にどこかに出かけていたい負け組大学生。

廃線遺構巡り 国鉄宮原線(肥後小国~町田)


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訪問日:2019年8月29日

 

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大分・熊本県境のくじゅう連山を貫くように走っていた26.6kmの盲腸線です。1984年廃止。

末端区間のみ熊本県域を走っていたものの、終点の肥後小国では他路線との接続がなく「熊本県の駅なのに一度大分県側へ出ないと県内の主要駅に行くことができない」という珍しい路線でした。ちなみに、初見殺しのような読み辛い路線名(「みやのはるせん」と読みます)は肥後小国駅の所在地名(大字宮原)に由来しています。

 

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小国町へは豊肥本線阿蘇駅からバスが出ています。より熊本市街寄りの肥後大津駅からの便もありますが、曜日限定運行のうえ1日2往復という本数の少なさから観光での使い勝手はよくないです。いかにも阿蘇阿蘇しい雄大な草原の垣間見える駅前から1時間ほどバスに揺られ、小国の中心部・ゆうステーションバス停に到着。

 

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ゆうステーションというのは小国町の道の駅の愛称。観光案内所や土産物屋、さらには名産のジャージー牛乳を使ったスイーツのお店などもあり、時間つぶしの材料には事欠きません。この日は廃線探索前の一休みがてらジャージー牛乳ソフトをいただきました。

 

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■肥後小国 ひごおぐ -国鉄宮原線(廃)

道の駅の立地自体が肥後小国駅廃止後の跡地に造られたというもので、駅前にはそれを示す駅名標のモニュメントがあり館内にも内照式駅名標が保管されています。横に寝かせてある理由は「天井から吊るしていたが熊本地震の時に落ちてきたから」とのこと。こんなところにも震災の爪痕が…

 

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道の駅から北へ1kmほど進むと、ひときわ立派な橋梁が見えてきました。橋脚に3つの穴が開けられた特徴的なデザインのこの橋の名は「幸野川橋梁(こうのがわきょうりょう)」。なんと橋の上の路盤がそのまま遊歩道として整備されており、次の北里駅手前まで在りし日の宮原線を偲びつつ手軽に森林浴を楽しむことができます。

 

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路盤は鬱蒼とした森に挟まれており、遊歩道としての整備事業がなければ完全に自然に還っていたでしょう。古の鉄道遺産を観光資源として活用した成功例といえます。

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長さ300mの北里トンネル。中で湾曲しており、先がほとんど見えないのでヘッドライトを装着して進みました。充電を怠っていたせいで途中で灯りが切れ、心臓が止まるかと思いました……コウモリもかなり多いので、暗い所の苦手な方はやめておいた方が無難だと思います。

 

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トンネルを抜けて北里の集落に差し掛かると、遊歩道は車道に合流する形で途切れます。地名が示す通りかの北里柴三郎博士の生まれ故郷であり、生家に併設する形で記念館が設けられています。館内は撮影禁止ですが見ごたえはかなりのもので、山奥の小村でありながらミュージアムショップやオリジナルの各種お土産まで用意されているという徹底っぷりは侮れません。

 

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■北里 きたざと -国鉄宮原線(廃)

ホームの一部がそのまま残されています。

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麻生釣(あそづる)駅があった辺りの手前で大分県に入ります。小国町の市街からここまで歩いてきましたが、県境をまたぐバス路線はなく宮原線の代替としての交通機関は完全に途絶えてしまっています。宝泉寺から豊後森方面行きのバスはそれなりにありますが、麻生釣に乗り入れる便は平日のみ1日1便という有様です…

 

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■宝泉寺 ほうせんじ -国鉄宮原線(廃)

宝泉寺駅跡に建てられた観光案内所、その名もずばり「宝泉寺駅」。宝泉寺温泉は地元ではそこそこ名の知れた温泉街であり、廃止前にはこの駅で恵良方面へ折り返す便も設定されていました。

 

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黒板に直書きされた時刻表やホーロー製の縦型駅名標もあり、往時の雰囲気を感じ取ることができます。

 

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建物の中にも、実際に用いられていた駅名標の展示がありました。果てはサボや使用済み硬券などディープなオタクの趣味嗜好にぶっ刺さる品々の販売も……弁当、菓子類や土産物もあり、長旅の狭間の休憩に重宝しました。

 

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■町田 まちだ -国鉄宮原線(廃)

起点の恵良駅のお隣、町田駅。当時の駅名標がホームの路盤にそのまま残されていました。実は神奈川東京の町田駅よりも「町田駅」としての歴史は長く、こちらの方が先輩にあたります。開業時期こそこちらは1937年と遅いものの、国鉄(→JR)横浜線町田駅は1980年まで「町田駅」、小田急町田駅は1976年まで「新原町田駅」を名乗っており、40年ほどは「町田駅大分県の駅」という状態だったのです。

 

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廃線跡から町田川の向かいへ1~2kmほど進んで久大本線引治駅に到着し、この日の探索は終了。合わせて20km弱の道のりを徒歩で辿ることとなりました。

普通に車使った方が無難ですね…

 

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