訪問日:2015年12月30日
今回は比較的新しめの廃線です。といっても30年近く前ですが…
加古川線から分岐していた4つの枝線のうちのひとつ、鍛冶屋線。廃止された年が1990年なので、国鉄民営化後の数年間は存続していたことになります。
起点となっていた加古川線の西脇市駅にやってきました。廃止前は野村駅という名前でしたが、市街中心部にあった西脇駅に代わって西脇市の玄関口としての役割を受け継いで改名したという経緯をもっています。ここからかつての終着駅・鍛冶屋まで歩いていきます。
駅の西口から北方向へ、鍛冶屋線の路盤を活用した遊歩道が続いていました。200mほど進むと加古川線の線路と別れて進むことになります。右前方に見える大きな建物は西脇ロイヤルホテル。この向かい側が西脇駅跡です。
■西脇 にしわき -JR鍛冶屋線(廃)
この辺りだけ道幅が不自然に広く取られているので、一瞥してかつての駅があった場所とわかります。ちなみにここにある市設置のマンホールには日本列島をモチーフにしたゆるキャラ?が描かれています。西脇市が標準時子午線(東経135度線)と北緯35度線のちょうど交点に位置する「日本のへその町」であることに由来しているのでしょう。市内には日本へそ公園というスポットもあり、地理オタク的にはどこかそそられるものがある地域です。
西脇駅跡を過ぎるとすぐに郊外路線の色が強くなっていきます。かつての路盤は県道になっており廃線跡の面影は薄いですが、道そのものは西脇市駅からの遊歩道と連続しており地図上で鍛冶屋線の通っていたルートを辿ることは容易です。
県道が通る橋の名称が「鉄道橋」のまま残っていたりと、所々で鉄路の残り香を感じられました。
西脇の次の駅、市原駅跡です。記念館として整備されていますが、この日は生憎の閉館日…ちゃんと調べてから行けばよかったですね。
■市原 いちはら -JR鍛冶屋線(廃)
実際に鍛冶屋線で活躍した車両が屋外に展示されています。ただ、どういう経緯か地元の小学生たちによってペイントが施されたとのことで、往時の見た目ではなくなってしまっています。地域学習の対象として廃線を取り上げるのは素晴らしいですが、文化財の実物を損ねるようなやり方はちょっと…と考えてしまいました。
■羽安 はやす -JR鍛冶屋線(廃)
市原から次の羽安(はやす)駅跡までは再び遊歩道となっていました。この駅も市原と同様にホームが残存しています。
説明書きもあります。この辺りで住所表記は西脇市から多可郡多可町へ。
■曽我井 そがい -JR鍛冶屋線(廃)
駅名標の実物が残されています。廃止時期自体はJR化後ではあるものの、駅名標は国鉄時代から変わっておらず平仮名主体のモノクロ書式でした。
経営状況は昔から苦しかったのか、存続の危機には立たされ続けてきたようです。ただ、西脇市というそこそこの都市の中心へのアクセス路線だったこともあり、加古川線の枝線の中では利用者は最も多かったというのもまた実態でした。だからこそ交通網から取り残されがちな内陸の盲腸線沿線の自治体にとって住民の足としての鉄道が重要だったのかもしれません。
■中村町 なかむらまち -JR鍛冶屋線(廃)
駅名標は一見本物っぽいですが後付けのレプリカです。汽車型のかわいいベンチがあります。
■鍛冶屋 かじや -JR鍛冶屋線(廃)
終点の鍛冶屋駅跡に着く頃にはすっかり日も暮れてしまっていました。ここも市原と同じく資料館となっています。ホームと列車が展示されている点も同じですね。
当時の駅名標も。先ほどの中村町駅のものの実物もこちらに移設されています。
次はちゃんと明るい時間帯に来たいですね…全長13.2kmと短めの廃線なので、徒歩のみでの探索もそれほどキツくはなかったです。そのまま西脇市駅行きの終バスで帰途につきました。
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