なまずのねどこ

ちょっとオタク寄りな旅の記録。B級スポットとか県境とか駅とか魚捕りとか。常にどこかに出かけていたい負け組大学生。

日田彦山線 災害運休区間(添田~夜明)の現状 Part1 宝珠山・大行司

訪問日:2019年8月27日

 

2か月前のお話です。

2017年夏の豪雨災害で線路が被災、以来2年にわたってバス代行輸送となっている日田彦山線の南側区間。不運にも列車運休の憂き目に遭った区間にあるいくつかの駅を巡ってきました。

 

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■夜明 よあけ -JR久大本線日田彦山線

日田彦山線の路線名称上の終点。被災前から全列車が日田まで直通しており、代行バスの発着ターミナルも日田駅です。

右画像は久留米・小倉側のホーム端。左前方が久大本線、右前方が運休中の日田彦山線の線路となっています。

 

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配線の構造上、日田彦山線の列車は島式ホームの外側・3番のりばからしか発着できません。駅舎側のホームとは跨線橋が繋いでいます。

代行バスは駅舎の建つ高台を降りた国道沿いのバス停から発着します。いざ不通区間へ。

 

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夜明駅を出てから3つ目の宝珠山駅前に到着。駅舎から川を隔てて向かい側に代行バスの乗降場があるんですが、バス停の標識もないような中途半端な場所なんですよね……

 

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駅前の橋と、雨で増水した大肥川。この辺りは地盤が緩いのか、ブルーシートで覆われた仮設の護岸が目立っていました。

 

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宝珠山 ほうしゅやま -JR日田彦山線

近年に建て替えられたものながら、開業時の面影を残した風格ある駅舎です。東峰村のコミュニティセンターも兼ねています。

 

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ここは福岡と大分の県境がホーム上を横切っているという県境オタク垂涎の珍しい駅なのです。滅多に人が立ち入ることがなくなったホームには、ところどころ雑草が茂っていました。

 

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駅舎の壁にへばりつくオオミズアオを発見!かわいいキノコも生えてました。自然豊かな場所ですね。

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■大行司 だいぎょうじ -JR日田彦山線

駅前後の区間は背後が急斜面になっており、土砂流入の被害が大きかったエリアです。駅舎の再建(被災して倒壊した建物の復元?)工事が行われていましたが、あいにく写真を撮り忘れていました…

 

Part2に続きます。

秋晴れの霧島を往く えびの高原→韓国岳→大浪池

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週末休みを使って、日帰りで霧島登山に行ってきました。

登山口へのアクセスには、日豊本線国分駅霧島神宮駅または肥薩線霧島温泉駅から丸尾というバス停まで乗車。そこから登山客向けの周遊バスに乗り換えることになります。

バスの本数は少ないので下調べが肝心です。

 


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今回は降りたことのなかった霧島神宮駅から。その地名を体現するかのように薄く霧が出ていました。

 


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霧島最高峰・韓国岳(からくにだけ)への登山口へは「えびの高原」バス停が近いです。宮崎と鹿児島の県境に近接していて、バス停やビジターセンターは宮崎県側。

手始めに、えびの高原北側にある白紫池や不動池を巡ろうと思ったのですが…どうやら最近になって近くの硫黄山で噴火があり、周辺の散策路に立ち入り規制が入っているとのこと。メインディッシュの韓国岳登頂に時間的支障が出ても嫌なので、えびのの池巡りはまたの機会に持ち越しです。

 


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痩せ地にも生育しやすい松の木々と入り混じるようにススキの野原が広がっています。「えびの」という地名も、秋になって葡萄色(えびいろ)に色付いた穂先に由来するという説が有力といいます。

 


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県境付近の入り口から登山道へ。しばらくは大きなアップダウンのない比較的平坦な道を行くことになります。目立った尾根や谷がなく、木々の背丈も低いので常に陽の光が地面に届いています。火山地帯という土地柄、植生も地形ごとリセットされやすいのでしょう。侵食輪廻の原地形ってこんな感じなんだろうか…なんて考えながら歩を進めていきます。

 


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左手になだらかな韓国岳を望む凹地に差し掛かると、ほどなくして無人の避難小屋が目に入ります。大浪池から韓国岳に向かう最短ルートの分岐点です。どのみち後で大浪池はじっくり堪能することになるので、先に霧島の頂を踏んでおきましょう。

 


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この辺りから徐々に視界が開けはじめます。植生は低木中心となり、可憐な高山植物の姿もちらほら。写真はホソバリンドウ。

 


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山頂を目前に控えて後ろを振り返ると、赤みがかった溶岩の大地と大浪池の碧のコントラスト。これこそが火山の醍醐味!地球の営みのスケールの大きさに思わず息を飲む絶景です。

 


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韓国岳登頂。標高1700mジャスト、麓からの所要時間は2時間ほど。えびの高原との標高差は500mほどなので、案外それほど険しくはない行程です。東側は噴火により立入禁止区域となっている新燃岳。噴煙こそ上がっていませんが、その火口周辺は黒く焼け焦げたようになっており、噴火の影響の凄まじさを計り知るには十分です。

 

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韓国岳山頂のすぐ北側にも巨大な火口跡が広がっており、山道はこの火口の周縁に沿って引かれています。落ちたら一たまりもありませんね。

 

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来た道を下り、先ほども後方に見えた大浪池のほとりへ。角度によってさまざまな表情を見せる神秘的なカルデラ湖です。

 


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眺望を遮るものが基本的にないので、韓国岳や周辺の火山地形も綺麗に見ることができます。

 


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大浪池の内側はすり鉢状の急斜面。岸辺に降り立つことができる箇所は限られていますが、辛うじて南西端から沢下りのようにアプローチすることはできました。危ないのでおすすめはしませんが…

 


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大浪池から県道の登山口までの下り道は、神社の参道のような石畳の階段。しっかり舗装されていて歩きやすいです。登山口バス停には非常用の物々しいシェルターがあり、アルピニストの憧れといえどやはり火山に囲まれた危険地帯であることを改めて実感させられます。

 

以上、霧島日帰りプチ登山レポでした。この調子で百名山どんどん制覇していきたいね。

 

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廃線遺構巡り 国鉄宮原線(肥後小国~町田)

訪問日:2019年8月29日

 

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大分・熊本県境のくじゅう連山を貫くように走っていた26.6kmの盲腸線です。1984年廃止。

末端区間のみ熊本県域を走っていたものの、終点の肥後小国では他路線との接続がなく「熊本県の駅なのに一度大分県側へ出ないと県内の主要駅に行くことができない」という珍しい路線でした。ちなみに、初見殺しのような読み辛い路線名(「みやのはるせん」と読みます)は肥後小国駅の所在地名(大字宮原)に由来しています。

 

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小国町へは豊肥本線阿蘇駅からバスが出ています。より熊本市街寄りの肥後大津駅からの便もありますが、曜日限定運行のうえ1日2往復という本数の少なさから観光での使い勝手はよくないです。いかにも阿蘇阿蘇しい雄大な草原の垣間見える駅前から1時間ほどバスに揺られ、小国の中心部・ゆうステーションバス停に到着。

 

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ゆうステーションというのは小国町の道の駅の愛称。観光案内所や土産物屋、さらには名産のジャージー牛乳を使ったスイーツのお店などもあり、時間つぶしの材料には事欠きません。この日は廃線探索前の一休みがてらジャージー牛乳ソフトをいただきました。

 

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■肥後小国 ひごおぐ -国鉄宮原線(廃)

道の駅の立地自体が肥後小国駅廃止後の跡地に造られたというもので、駅前にはそれを示す駅名標のモニュメントがあり館内にも内照式駅名標が保管されています。横に寝かせてある理由は「天井から吊るしていたが熊本地震の時に落ちてきたから」とのこと。こんなところにも震災の爪痕が…

 

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道の駅から北へ1kmほど進むと、ひときわ立派な橋梁が見えてきました。橋脚に3つの穴が開けられた特徴的なデザインのこの橋の名は「幸野川橋梁(こうのがわきょうりょう)」。なんと橋の上の路盤がそのまま遊歩道として整備されており、次の北里駅手前まで在りし日の宮原線を偲びつつ手軽に森林浴を楽しむことができます。

 

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路盤は鬱蒼とした森に挟まれており、遊歩道としての整備事業がなければ完全に自然に還っていたでしょう。古の鉄道遺産を観光資源として活用した成功例といえます。

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長さ300mの北里トンネル。中で湾曲しており、先がほとんど見えないのでヘッドライトを装着して進みました。充電を怠っていたせいで途中で灯りが切れ、心臓が止まるかと思いました……コウモリもかなり多いので、暗い所の苦手な方はやめておいた方が無難だと思います。

 

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トンネルを抜けて北里の集落に差し掛かると、遊歩道は車道に合流する形で途切れます。地名が示す通りかの北里柴三郎博士の生まれ故郷であり、生家に併設する形で記念館が設けられています。館内は撮影禁止ですが見ごたえはかなりのもので、山奥の小村でありながらミュージアムショップやオリジナルの各種お土産まで用意されているという徹底っぷりは侮れません。

 

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■北里 きたざと -国鉄宮原線(廃)

ホームの一部がそのまま残されています。

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麻生釣(あそづる)駅があった辺りの手前で大分県に入ります。小国町の市街からここまで歩いてきましたが、県境をまたぐバス路線はなく宮原線の代替としての交通機関は完全に途絶えてしまっています。宝泉寺から豊後森方面行きのバスはそれなりにありますが、麻生釣に乗り入れる便は平日のみ1日1便という有様です…

 

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■宝泉寺 ほうせんじ -国鉄宮原線(廃)

宝泉寺駅跡に建てられた観光案内所、その名もずばり「宝泉寺駅」。宝泉寺温泉は地元ではそこそこ名の知れた温泉街であり、廃止前にはこの駅で恵良方面へ折り返す便も設定されていました。

 

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黒板に直書きされた時刻表やホーロー製の縦型駅名標もあり、往時の雰囲気を感じ取ることができます。

 

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建物の中にも、実際に用いられていた駅名標の展示がありました。果てはサボや使用済み硬券などディープなオタクの趣味嗜好にぶっ刺さる品々の販売も……弁当、菓子類や土産物もあり、長旅の狭間の休憩に重宝しました。

 

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■町田 まちだ -国鉄宮原線(廃)

起点の恵良駅のお隣、町田駅。当時の駅名標がホームの路盤にそのまま残されていました。実は神奈川東京の町田駅よりも「町田駅」としての歴史は長く、こちらの方が先輩にあたります。開業時期こそこちらは1937年と遅いものの、国鉄(→JR)横浜線町田駅は1980年まで「町田駅」、小田急町田駅は1976年まで「新原町田駅」を名乗っており、40年ほどは「町田駅大分県の駅」という状態だったのです。

 

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廃線跡から町田川の向かいへ1~2kmほど進んで久大本線引治駅に到着し、この日の探索は終了。合わせて20km弱の道のりを徒歩で辿ることとなりました。

普通に車使った方が無難ですね…

 

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廃線遺構巡り 国鉄妻線(妻~穂北)

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訪問日:2019年8月26日

 

1984年に廃止となった国鉄妻線(つません)。日豊本線佐土原駅から分岐し、西進して内陸の杉安駅へと至る20km足らずの盲腸線でした。ただ県庁所在地の近郊ということもあって列車は宮崎駅まで乗り入れており、一定の通勤・通学需要もあったようです。やはり本線のルートから外れた盲腸線という路線の性格が廃止のトリガーとなった面は大きいのでしょう。

 

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さて、佐土原駅からバスで西都(さいと)バスセンターへ。西都市の中心駅としての機能を担っていたのが、現在のバスセンターのすぐ近くにあった妻駅です。

この辺りの路盤はそのまま遊歩道となっています。並行する道路と道路に挟まれる形で幅の広い歩道があるので分かりやすいです(説明が難しい…)。

 

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妻駅跡。木造の味わい深い駅舎に加えて駅名標まで残されています。至れり尽くせり。すぐ隣が児童館となっているので、バシャバシャ写真を撮るうちに不審者と間違われないかビクビクしてました……実際不審者みたいなもんですが

 

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終点の杉安方面へ歩を進めます。市街地の真っただ中を突っ切るため遊歩道は道路によってちょくちょく分断されています。

 

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この辺りから穂北・杉安の集落までが宮崎市街とを結ぶ自転車道の一環。地図上で見ると、国道と並行して直線的な細い道が走っているのですぐにそれと分かります。

はにわのオブジェは史跡の多いことで有名な西都市のシンボル的存在。至る所に立てられています。

 

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線路跡から少し外れ、市街からほど近い高台に大小さまざまな古墳が密集する西都原古墳群へ。古代のロマン溢れる構造物の数々は歴史好きでなくても必見です。

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県境探訪 柳生の三県境@埼玉県加須市/群馬県板倉町/栃木県栃木市

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国内に48か所存在する「三県境」。そのほとんどは山地や水域に位置し、容易に到達できるものではありませんが、日本で唯一平地にいながら三県の土を跨げる場所が首都圏にあります。

 

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東武日光線柳生駅から北東へ徒歩約10分と、公共交通機関でのアクセスも容易な親切仕様。

ちなみに、かの渡良瀬遊水地の最寄り駅でもあります。この「平地の三県境」が成立したそもそもの経緯も遊水地の整備に伴って周辺の河川の流路が大きく変更され、河川上に引かれていた県境はそのままの位置で残されたというものであり、水害と公害に振り回された苦難の歴史を感じさせます。

 

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ロケーション自体は至って普通の田園地帯という感じで、三県境をなぞる形で引かれた細い水路脇に来訪者用の広場が設けられています。

 

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手作り感溢れる説明書きも。地元住民の方々のちょっとした熱意が微笑ましいです。

ご丁寧に記念のスタンプまで用意されていましたが、肝心のスタンプ台がカピカピに干からびており使い物になりませんでした…

 

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周辺には道の駅もあります。ここでも三県境を大々的にアピール。

 

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渡良瀬遊水地(谷中湖)。湖畔を走る県道9号線は(南から)埼玉→栃木→群馬→埼玉→群馬と、約1kmの範囲で4回も県境をまたぐというとんでもない県境オタク道……ナードロード。通常のカントリーサインの他にも、歩道にでかでかと白文字でその旨が記されています。成立経緯も含め、かなり見ごたえのある県境探訪となりました。

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"地方病"と共にした命運… 山梨県 ミヤイリガイの今を訪ねる

人間社会の発展、そしてそれに伴う自然環境の悪化とともに姿を消す生物種は近代以降もはや枚挙に暇がない。多くの場合は乱獲や生息地の破壊により図らずも血筋が途絶えるというものであるが、真骨頂として "人為的に存在を抹消された" 生き物というのが少ないながらも存在する。今回はそんな "文明の功罪" の象徴ともいえる小さな命たちの今を追った。

 

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ミヤイリガイ(カタヤマガイ) Onchomelania hupensis nosophora。生物に関心のある人々であれば、頭の片隅にあるという方も多いことだろう。

川の貝としてお馴染みの顔・カワニナに似た、殻高1cmに満たない小さく地味な巻貝である。しかし、その裏には日本住血吸虫の中間宿主として忌避された挙句、吸虫症の撲滅を目的とした大規模な駆除活動により絶滅寸前まで至らされるという悲劇的な来歴を抱えている。そもそも新種としてこの貝の存在が示唆された経緯というのが日本住血吸虫症の原因究明の過程にあったことからも、当時の人間にとってこの貝と吸虫とがいかに切っても切れない関係として認知されていたか想像に難くない。

さて、事の発端となった日本住血吸虫症の流行地は各地に不連続的に点在したが、中でも最大級の被害を被ったのが山梨県甲府盆地であり、当地では "地方病" と称され長きにわたり恐れられた(この辺りの経緯はwikipediaの該当ページが詳しい。寄生虫症関連の記事はwikipedia文学と称されることもままあるほどの名文揃いであるので、是非ひととおり目を通すことをおすすめする)。ここからこの大きすぎる爆弾を抱えた小さな貝と人間との "戦い" が幕を開けたのだ。

そして1996年にミヤイリガイと日本住血吸虫症にまつわる一連の騒動については終息宣言が出され、その後新たに吸虫に感染した貝が見つかった例もない。多大な犠牲を出しながらも決して無駄死になどではなく、ミヤイリガイの撲滅は医療の発展、そして住民の安寧への寄与という大きな足跡を残したのであった。

 

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甲府盆地における吸虫症の流行地は、富士川水系釜無川流域に集中していた(その分布の仕方から水を介した感染拡大が真っ先に疑われたという経緯もある)。鉄道空白地帯であるため、公共交通機関を使う場合は甲府駅韮崎駅といった県中西部の拠点駅からバスでアクセスすることとなる。この日は韮崎駅から。

絶滅を免れたとはいえ、風前の灯火の希少種であることに変わりはないので生息地に関するこれ以上の言及は控えさせていただくことをご了承願いたい。

 

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この小さな貝が水田地帯を好むことは諸々の文献から容易に窺い知ることができるが、百聞は一見に如かず、詳細な生息環境については現地に赴いて目に焼き付けるのがやはり結局はいつの時代も手っ取り早いものである。

まず注目したのが田んぼの脇を流れる細い用水路。閉鎖性の高い水域としての水田から流出して分布を拡大するには最も手っ取り早い経路と考えたのだ。しかしその壁面には同じ水生の巻貝でもモノアラガイやサカマキガイがへばりついているのが散見されるのみで、ミヤイリガイの姿はない。よくよく考えてみれば、ミヤイリガイ撲滅運動の一環に「水路の三面護岸」というものがあることからも、このような環境が彼らの安住の地として不適であることは明らかであった。

 

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青い稲が風に遊ぶ水田の淀みにも目を向けたが、やはりそれらしき影は見当たらない。

 

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思いのほか苦戦していた矢先、水田から流れ出す泥底の舗装されていない細流を発見。流れ出す先は支流を介して釜無川本流に繋がっている。

 

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ここでようやくミヤイリガイを発見!砂交じりの泥底でヒメタニシと混生していた。「水田と繋がる非舗装の小川」「水が滞留しない流水域」「泥が積もっている」などが理想的な生息条件として挙げられると思われる。コンクリート壁と接する箇所ではそこにへばりつく個体もちらほら見られたので、コンクリそのものが嫌いなわけではなく泥の底質さえ脅かされなければいいのだろう。ちなみに最近めっきり見なくなったコオイムシも生息していた。いい小川である。

 

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ポイントこそ局所的ではあるものの、個体数は非常に多くサンプルの確保には困らなかった。採集圧に晒されるようなこともないのだろうが、地域ぐるみでこの貝の抱える歴史や現状を広報するようなムーブメントが見られなかったのは少し気になった。

ちなみに思いっきり素手で触っている。日本住血吸虫は経皮感染だが、ここでミヤイリガイのみを腫れ物扱いし触ることを恐れるのは日本における病気の撲滅に尽力した人々、そして何より犠牲になった貝たちに対してこの上ない失礼にあたるという考えから他の貝と同じように扱うことを心に誓った。最終的に十数個体を持ち帰り飼育することにした。無念を抱えて死んでいった仲間のぶんも増えるといいな。

 

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形態は本当にカワニナに似た雰囲気である。しかし殻の螺層が6~8ほどになっている(カワニナは4以下が一般的)ほか殻口が明らかに丸っこいなど明確な相違点も多い。右のように老成した貝は殻皮が削られ光沢を失っている。

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現地から撤退する道すがら、拡大経路となった釜無川を渡った。最下流笛吹川と合流する鰍沢(かじかざわ)付近で富士川と名を改める。

農業の発展とともに生き医療の発展とともに散っていった命の重みに鎮魂の祈りを捧げつつ、甲斐の沃野を後にした。

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急行はまなす最後の夏 北海道放浪記 - Part7 北の白鳥は海峡を往く

nenjin.hatenablog.com

↑前回

 

8日目、9月8日。北東パス(北海道&東日本パス)での行程はこの日まで。旅程組みの柔軟性では青春18きっぷに劣るが、7日間(連続)で10850円という18きっぷ以上の破格なので是非とも上手に活用されたい切符のひとつである。

 

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東室蘭の宿を出て普通列車長万部へ。苫小牧・東室蘭方面からの室蘭本線函館本線と合流する古くからの要衝である。北海道新幹線の停車駅にも内定しているが、駅前は閑散そのものでありお世辞にも賑わいとは程遠い。最近ではKioskも潰れてしまったという噂である。

 

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函館への道すがら、北海道駒ヶ岳(渡島富士)や大沼・小沼といった景勝地を突っ切る。小沼に映る鏡富士…ならぬ鏡渡島富士は必見である。

 

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函館の1つ手前、五稜郭からは西へと進路を変え木古内へ。緑の特急、白鳥に乗り換え北の大地を後にする。

この白鳥もまた、新幹線の栄華の影に埋もれた列車の一つとして長い歴史に幕を下ろすこととなった。

 

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津軽海峡線の実質的な青森側の玄関口となっていた蟹田太宰治津軽』の舞台の一つであり町のアピールポイントにもなっている。車窓から海が間近に見えるわけではないものの駅自体は海岸のすぐ近くにあり、徒歩で荒涼とした陸奥湾・平舘海峡の海原にアプローチできる。

青森からは往路と同じ道のりを上り、翌日夜に関西へと無事帰還。昭和の香りが尾を引くブルートレインと旅路を共にする、最初で最後の貴重な体験となった。

 

北の旅情よ永遠に………

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