なまずのねどこ

ちょっとオタク寄りな旅の記録。B級スポットとか県境とか駅とか魚捕りとか。常にどこかに出かけていたい負け組大学生。

急行はまなす最後の夏 北海道放浪記 - Part6 魚の視線で楽しむ水族館

nenjin.hatenablog.com

↑前回

 

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引き続き北東パスを使って旅を続ける。札幌を発ち、次に向かうはサケのふるさと千歳水族館

外観だけならよくある地方の淡水魚水族館といった感じだが、ここの真髄は中で見られる魚の "展示方法" にある。

 

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館内を一通り眺め終えて奥に進むと千歳川に面した観察窓があり、産卵のため遡上するサケたちを間近に見ることができた。そう、"野生の川魚" を横から観察できる日本でも有数の激アツ水族館なのである。

もちろん普通の水族展示も必見であるし、それも軒並みトラウト好きには垂涎ものといって差し支えないのだが、いかんせん野生のサケを見られる水族館というインパクトが強すぎてそれすら霞んでしまうのだ。

 

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こちらはヤマメ。太公望の憧れ、渓流の女王も北の大地の流れではもはや普通種といって差し支えない。サクラマスはこの魚の降海型(サケのように海に下って大きく成長する個体群)であり、ここでも春にその姿を拝めるという。

 

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ウグイ、エゾウグイ。海でも川でも飽きるほど見かけるオールラウンダー。複数種が混在する群れで行動する。

 

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見物を終え、千歳川の支流でしばし魚捕り。ここでも顔を出すヤマメのほか、フクドジョウやイバラトミヨといった本州では考えられない面々と戯れる。ガサガサではお馴染みのコイ科やハゼ科などが少ない分、北方系の魚種がそのニッチに入り込むケースが多い印象だ。

 

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さて、その足でさらに東へ向かう。今は亡き夕張行きの普通列車は半数ほどがこの千歳始発となっていた。室蘭本線と交わる要衝・追分からは、沿線で幾度も先ほどの千歳川を跨ぐ山岳路線の様相を呈する。

 

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終点の夕張駅は訪問済であったため、一つ手前の鹿ノ谷駅で下車。

 

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炭鉱町の鄙びた一支線の小集落に不相応にも思える立派な構内と駅舎を持つ。かつて野幌(のっぽろ)を介して札幌方面とを結んだ夕張鉄道との乗換駅であった名残である。現在は夕鉄バスとして地域住民の足を担っている。

 

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折り返し、この年度限りで廃止となった東追分駅を訪問。現在は、駅設備等も撤去され原野に佇む信号場となっているようだ。

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急行はまなす最後の夏 北海道放浪記 - Part5 三つの海

 

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夜行列車全廃を控えた北海道を巡る旅も後半に差し掛かってきた6日目、9月6日。

 

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夜明けの釧路の街を東へ急いだ。薄くかかった雲が水の鏡に姿を映し、シックな街並みも手伝ってさながら北欧の水郷のような雰囲気を醸し出す。名物の朝霧こそ出ていないが、「日本のロンドン」という異称にもなんとなく合点がいく。

この日の出発駅は東釧路駅。釧路市街から釧路川を挟んだ東側にある。閑静な住宅街に囲まれて倉庫のような煉瓦積みの駅舎が建ち、やはり欧風の情緒をほの感じられる。

中に入ろうとすると、建物の趣に反して味気ない引き戸の内側からバタバタと物音がする。薄明も手伝って流石にビビらずにいられなかったが、かといって人影でもないようだ。程なくしてガラス窓から外に出ようともがく小さな影を捉える。鳥だ!

 

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かわいい(かわいい)。

エゾビタキだろうか。本州ではあまり見ない顔である。外へ運び出してやると元気に飛び立っていった。

駅舎とホームは構内踏切で連絡している。画像奥に写っているのは根室行きの列車だが、これから旅程を共にするのは釧網本線・網走行き。発着ホームも手前側である。

 

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北へ進み遠矢(とおや)を過ぎると、列車は雄大釧路湿原を縫うように走る。水面や草木の狭間で命のバトンを繋ぐ生き物たちの喧騒を想うだけでも心が弾んだ。

20数kmにも及ぶ湿原地帯を抜け、そのまま標茶弟子屈(摩周)、川湯といった町々を突っ切る。

 

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清里町域からは右手に百名山斜里岳の秀峰が聳える。成層火山であり、より海側の羅臼岳とともに世界遺産知床を象徴する山でもある。

線路は知床斜里で西へと大きく向きを変える。車窓には陽光に煌めくオホーツク海。この旅の中で日本海、太平洋ときて実に三つ目の海域である。ここから網走市街までしばらくこのオホーツク海岸沿いに西進することになるが、せっかくなので途中下車して寄り道。

 

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二つの海を繋いだ小さな気動車から降り立った先は鱒浦(ますうら)駅。トラウト好きとしてこの駅名に惹かれずにはいられなかったのだ。木彫りの鮭や鱒があしらわれたこぢんまりとした駅舎がほほえましい。ホームは国道244号線から一段上がった高台にあり、駅舎の窓越しに海が見える。素晴らしい!

 

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目の前の海岸へ下りてみた。砂浜が南へと続くが、北側は網走港とこの地区を隔てる急な崖になっておりその境目に鱒浦漁港がある。

漁港ではサケ釣りの太公望が糸を走らせる。魚談義に花を咲かせていると、一人が誇らしげに釣ったばかりのサケを見せてくれた。そろそろ彼らも産卵のため川を遡る時期、それを象徴する婚姻色・通称「ブナ」模様がうっすらと浮き出ている。

釣り人と恵みの海に別れを告げ、網走駅へと急ぐ。鱒浦から2駅しか離れていないとはいえ、釧網本線の便数はとてもではないが市内交通に活用できるような代物ではない。バスに頼ることにした。

 

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網走駅。旭川や札幌へと特急列車が走るオホーツク海観光の玄関口である。終着駅とはいえ、網走自体が帯広や釧路のような大きな市ではないため駅舎は割合コンパクトな印象であった。

石北本線遠軽(えんがる)行き列車に乗り込んで駅を後にすると、女満別まではしばらく網走川、次いで網走湖に沿って走る。北見盆地を抜けて山に分け入った辺りの無人駅・金華で8分ほど停車。

 

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この時点でもう2016年春の廃止が決定していた駅であった。停車時間で駅周辺を軽く探索することにした。

留辺蘂(るべしべ)の市街地から距離的にそこまで離れているわけではないが、周辺に民家は殆ど見当たらない。とはいえ長い山越え区間の南端にあたる駅のため、網走・北見方面からの折り返し列車も存在した。現在はその役目を西留辺蘂駅に譲っている。

 

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駅舎。有人駅時代の面影を残す。心霊好きにはあまりにも有名な常紋トンネルの最寄駅であり、駅舎内には慰霊碑がある旨の掲示がなされている。

 

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常呂郡紋別郡の頭文字を取って命名された常紋トンネルを抜けてしばし原野を走行すると終点の遠軽に到着。全国でも珍しい平地スイッチバックの駅である。

ホームの発車標には、1989年に廃止された名寄本線の名残である「紋別・名寄方面」の表記が残っていた。スイッチバック構造自体も名寄・石北両線の乗換駅となっていた歴史的経緯に由来するものである。

 

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築堤上に設けられたような駅舎。合併を経ても人口1万人台という小さな町であるが、周りに大きな町がなく旭川や北見へも遠いためそれなりの拠点駅として機能している。駅そば屋や、この時点ではKioskもあり(2015年11月に閉店)、旅の休憩地点として有難い存在であった。

 

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腹ごしらえもそこそこに旭川行きの列車に乗り継ぐ。◯白滝という駅名が4連続で続くが、このうち3駅は先ほどの金華駅と時を同じくして廃止されてしまった。この辺りから大雪山系の急峻な峡谷に分け入り、その峠越えにあたる地点である上越信号場(上越駅跡)では2〜30分運転停車。白滝から上川まで40km以上も行き違い設備がないために、このようなダイヤ上の制約が生じることとなっている。

 

この日も旭川に宿を取る。北海道第二の都市という以上に、道内周遊の中継地点として欠かせない存在である。

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急行はまなす最後の夏 北海道放浪記 - Part4 みどりの平野を駆けて

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9月5日。道東エリアを東西に横断する。この日も懲りずに鈍行列車での大移動である。

 

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旭川から南下する富良野線の始発に乗車。ラベンダー畑をイメージした薄紫色をあしらった車体だ。

前日に雨が降ったせいもあって、車窓からは虹を拝むことができた。

 

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この富良野線界隈、特に美瑛から富良野にかけての地区では、ラベンダーに限らず数多の花畑が見る者を楽しませてくれる。さながら彩りの大地といったところである。

終点富良野では、山脈の狭窄部を越える根室本線帯広行き列車に乗り換える。道央内陸の諸都市から帯広・釧路方面へ向かう際の中継地点の役割を果たす駅だったが、東行きの区間はこの翌年に台風災害の憂き目に遭うこととなった。その後、現在に至るまで再開の目処は立っていない。

 

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金山〜東鹿越間でかなやま湖を横断。道内有数の規模を持つ巨大な人造湖である。しかしこの年は降雨不足が祟ったのかかなり渇水気味のようで、干上がって湖底が露出している箇所も多かった。

 

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東に狩勝越えを控える幾寅(いくとら)は、映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ地、幌舞駅としても知られる。現実と虚構に2つの名を持つ駅というのも厨二病みたいでカッコいいなかなか唆られるものがある。

 

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大雪山系南端を穿つ長大トンネルを抜けると肥沃な十勝の大地。見渡す限りの大草原が目前に広がった。九州の矢岳越え、信州の姨捨とともに日本三大車窓に数えられる狩勝越えである。急勾配を大きく蛇行しながら下り、札幌方面へ石勝線を分かつ要衝・新得を過ぎると清水、芽室と町々が続く。

 

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程なくして帯広に到着。釧路とともに道東の中枢を担う都市であり、同時に十勝平野唯一の市でもある。

引き続き東へと旅を続ける。大河十勝川を渡り池田の町を背にすると、車窓には再び山岳地帯が広がってゆく。

 

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厚内(あつない)を過ぎると、突如右手に太平洋が現れる。そう、太平洋である。昨日までの日本海から経てきた道のりの長さを改めて実感し、しばし感慨に浸った。

 

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日本最東のターミナル駅、釧路。札幌方面からの特急はここで折り返し、三方向へ向かう普通列車も一旦襷を繋ぐ。阿寒湖や釧路湿原をはじめとする道東観光の基地でもあり、名物マリモが観光客の目を癒している。

 

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北海道の東端・根室へと先を急ぐ。釧路〜根室間には花咲線という愛称が与えられたが、かなりの人口希薄地域でありかといって観光客が多いというわけでもない。車窓の外には湿原や荒涼とした海岸地形が続く。

 

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花咲駅。有名なハナサキガニの名はこの地名に由来するといわれる。この翌年、2016年3月をもって95年の歴史に幕を下ろしている。廃止の方針は既に告知されていた。時間の都合で下車こそできなかったが、古い客車を改造した北海道らしい駅舎や駅名標を一目見ておくという目的は果たせた。

 

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列車は、最東端の駅・東根室を出ると大きく左へカーブして終点根室駅のホームへと滑り込む。往時の繁栄は夜行列車の発着もあったほどだが、寂しいながら今となっては見る影もない。広い構内はその名残である。

 

そのまま釧路まで折り返し、この日の行程はここで終了。そのまま安宿にチェックインした。

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急行はまなす最後の夏 北海道放浪記 - Part3 最果ての鉄路を辿る

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9月4日。宗谷本線を完乗すべく旭川の宿を発つが、引き続き空模様は芳しくない。大粒の雨も降り始め、川は濁流となって岸を削る。そんな中でも列車は宗谷路を北へ北へと駆ける。

 

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鉄路は名寄辺りから天塩川と並走。灰汁色の水面を横目に、最果ての地へ思いを巡らせる。恵みの大地には牛たちが遊ぶ。

 

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牧草地と、牛。

 

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サロベツ原野と、牛。この道北だけでもいったい何頭の牛たちが命を繋いでいるのだろう。下手すれば人口より多いんじゃないか、などと考えているうちに早朝からの雨は次第に勢いを弱めていった。

 

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抜海(ばっかい)を過ぎると、宗谷丘陵の高台から日本海のパノラマが左手に広がる。最北の鉄道の大トリと言って差し支えない名車窓である。分厚い雲の切れ端に、利尻富士の裾野も辛うじて見える。

 

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旭川から実に6時間を経て、終着の稚内に到着。一度に1列車しか入れない簡素なホームには、北の終着駅を謳う文言が所狭しと並んでいる。それにしても、ここに来て枕崎の文字を目にするのは予想外だった。

 

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駅を出ると、車止めの先にも線路が伸びていた。稚内樺太とを結ぶ稚泊航路の全盛期、その船着場までレールが引かれていた名残だという。

せっかくなので北の海の幸にも舌鼓を打つ。やはり海鮮丼は鉄板だ。

 

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稚内自体はそんなに大きな街ではなく、湾の西岸にへばりつくような形の市街を徒歩で突っ切るのも容易い。1つ旭川寄りの南稚内駅まで歩いて復路につく。長く滞在できないのが名残惜しいが、限られた列車の本数を加味するとこれが妥協ラインである。

前日と同じく旭川に宿を取った。

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急行はまなす最後の夏 北海道放浪記 - Part2 札沼線と留萌本線

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明朝6時。目を覚ますと最後の停車駅である新札幌を出たところであった。北の大地に踏み入るときめきは何度訪れても褪せないものだが、陸上交通で「朝目を覚ませば北海道」という理想的なシチュエーションに身を置くのは最初で最後の経験だろう。

 

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7時間半に及ぶ夜汽車の旅は道都札幌で幕を閉じる。先頭の機関車が出発時と違うのは途中の函館でのスイッチバックのため。海峡を跨いで旅人たちを送り届けた青い雄姿もどこか誇らしげに見えた。

ホームに降り立ったその足でさらに北を目指す。乗り換える先は函館本線でもいいが、乗った経験のなかった札沼線学園都市線)を選ぶことにした。

 

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電化区間の北端である当別町界隈を境に、 車窓は近郊の住宅地から長閑な農耕地帯へと大きく様変わりしていく。とりたてて目立った絶景スポットがあるわけではないが、都市圏や田畑、後背湿地、海と平地を阻む山塊…と、長くない走行距離の間に「平凡な北海道らしさ」がよく詰め込まれた路線であると思う。

 

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終点新十津川では、地元の幼稚園児たちとその先生方が一日2便(2016年春以降は1便)の列車を出迎えてくれる。かわいらしい手作りのポストカードまで手渡されて思わずオタクスマイル笑顔がこぼれた。

駅前では夏の花々に交じって咲き乱れるコスモスが旅人に秋を囁く。

 

札沼線という路線名は元来の起終点である札幌(桑園)と石狩沼田に因むものであるが、末端の区間が1972年に廃止されて以来、半世紀近くこの新十津川駅が終着駅となっている。

 

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路線の接続こそないものの、函館本線滝川駅とは石狩川を挟んですぐ対岸、3kmほどの距離にあるため徒歩で旅程を繋ぐことも不可能ではない。バスの便もあることにはあるが、道内屈指の大河を歩いて渡るのもまた一興。晴れ間が見え始めた青空を知りながら滝川へと歩を進めた。

 

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滝川駅に到着。函館本線根室本線という道央の二大幹線の結節点だけあって、駅舎や構内はかなり立派なものであった。ただ市街地はシャッター街や空きテナントが目立ちお世辞にも活気があるとは言い難く、鉄道町としての栄華の軌跡と産業に乏しい内陸の斜陽都市としての著しい衰退の対比には少しばかり物悲しさを覚えた。

 

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隣の特急停車駅である深川駅へ。札幌から見て岩見沢を過ぎた先であるこの辺りは普通列車の本数が激減するため、特急の方が多い時間帯もままある。ここで分岐して日本海岸へと結ぶ留萌本線に乗車。

 

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束の間の晴れ間は陰りを見せ、山を越えた先の日本海は荒々しく白波を上げる。留萌から増毛までの区間はこの旅の時点でももう廃止が取りざたされており(2016年12月に廃止)、せめて駅名標だけでも撮っておこうという寸法での訪問でもあった。

 

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深川から1時間半ほどで終点増毛に着いた。消えゆく鉄路との別れを惜しむ同志だろうか、海辺の鄙びた港町の様相に似合わず旅人は多い。廃線となった現在でも駅舎は取り壊されることなく観光に活かされているという。

 

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踵を返し、北秩父別という簡素な無人駅に降り立つ。深山幽谷の秘境などではないにもかかわらず、周辺に民家はほとんど見当たらない。普通列車も半数が通過するという過疎駅っぷりであるが、すぐ横を深川留萌道が通過しており、完全な平地なのもあいまって車での探訪は割合容易そうだ。ホームと待合室自体は木の板張りの非常に簡素なものである。東京から来たという少し年上の青年と降り合わせ、次の列車が来るまで旅談義に花を咲かせた。

 

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この日の宿のある旭川に到着。近代的で開放感のある駅前だが、それに釣り合わないまでに人の影が少ない。それも夕刻の通勤時間帯に、である。寂しいが、北海道で札幌以外に活気ある都市というのはもうあまりないのかもしれない。

さらに北上する次の日に備えて早めに床に就くことにした。

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急行はまなす最後の夏 北海道放浪記 - Part1 みちのくを往く

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2016年春。北海道新幹線の開業は、本州と北海道を結ぶ各交通網にとって大きな転機となった。首都圏や仙台方面から道南へのアクセスが飛躍的に向上した一方で、かつて隆盛を誇っていた夜行列車群は全て消滅する運びとなり、長く一大ターミナル駅として旅人を送り出してきた青森駅は本州の北の玄関口としての役目を新青森駅に明け渡した。昭和の残り香とともにあったブルートレイン時代の終焉である。

今回はそんな節目を間近に控えた2015年晩夏の旅のお話。

 

9月1日。地元の京都を朝一で旅立ち、日が変わる頃に杜の都仙台に到着。例のごとく青春18きっぷのみを用いての行程だったが、正直いくら安上がりとはいえ健全な旅の在り方とはかけ離れていると思う。18時間近く列車に揺られていると尻の痛みも限界に達し、悟りの境地を垣間見ることとなる。しかし、過ぎ行く町々の空気を肴に、まだ見ぬ土地に思いを馳せるのも悪い気はしない。この日は仙台駅前のネカフェに宿泊。

 

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翌2日。この日は三セクを跨ぐので、18きっぷではなく北海道東日本パスを使う。始発の仙石線でまずは石巻、その先の女川を目指す。車窓からは松島湾がよく見えるが、あいにくの曇天であった。

 

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石巻から女川までは非電化の路線。東日本大震災で甚大な被害を受けた区間の一つであるが、2015年春に全線が運転を再開している。右手に広がる万石浦が途切れると程なくして女川到着のアナウンスが入る。

 

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駅の構造自体は簡素ながら、町営の温泉施設を兼ねた立派な駅舎に驚かされる。地元の方に話を伺うと、運転再開に先駆けて新しく建設されたものとのこと。

 

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折り返し駅ということもあり散策にそれほど多くの時間を割けたわけではなかったが、4年を経ても未だに震災の爪痕癒えない臨港部は復興に向けた人々の営みを感じ取るには十分であり、涙を流さざるを得なかった。
漁師町女川の再起を祈りつつ、辿った鉄路を石巻方面へ引き返す。

 

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港を見るとやはり海鮮物に食指が動く。小牛田への列車を待つ石巻駅で駅弁「大漁宝船」を購入、車内で舌鼓を打つ。少々値は張るが、石巻湾の幸を幾種も織り込んだ凝り具合は見た目も楽しい。

 

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小牛田からは昨日に引き続き東北本線の旅に戻る。東北の郊外で席の確保に困ることはないだろうと高を括っていたが、盛岡行きの普通列車は満員に近い状態であった。東京から長く続いてきた東北本線は、終点盛岡で第三セクターIGRいわて銀河鉄道と名を変えて北へと続いている。

青森県に入ってしばらく進み、下北半島付け根の野辺地(のへじ)で大湊線に乗り換え。

 

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左手に晩夏の陽光を映す穏やかな陸奥湾を望みつつ北上していく。風光明媚な路線だが途中駅を訪問する時間の余裕はなかった。名残惜しく思いつつも、終点大湊で折り返しそのまま一路青森方面へ向かう。

 

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この時点ではまだ北海道や八戸方面への特急も多く発着していた青森駅。乗換時に数多の旅人で賑わうホームは、北の果てのターミナルとしての郷愁を色濃く残していた。

はまなすの入線時間までは少し時間があったので、駅近辺で腹ごしらえ。継ぎ目の駅としての重要さの割に、駅前市街地の活気は他の東北地方の主要都市と比べると少しばかり見劣りしてしまうように感じられる。やはり新幹線の駅が市中心部から離れている影響は大きいのかもしれない。

 

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発車まで45分ほどとなったところで、はまなすが入線。ブルートレインの名の謂われである青い客車を赤い機関車が牽引する。ここから約8時間、札幌までしばし夜汽車に揺られる旅である。

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廃線遺構巡り JR上山田線(真崎〜熊ヶ畑)

訪問日:2019年6月27日

 

炭鉱輸送を主目的として網の目のように敷設された、筑豊地方の国鉄路線のひとつです。いわゆる「枝線」ではなく、筑豊本線(飯塚)と日田彦山線(豊前川崎)を短絡する今でいう後藤寺線のような立ち位置の路線でしたが、炭田の衰退後は大きな旅客需要もなく、分割民営化後ほどなくして廃止に至りました。

 


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日田彦山線側のターミナルとなっていた豊前川崎駅で下車。

駅周辺に目立った遺構はありません。川崎町のコミュニティバスで真崎(まさき)へ向かいます。

 


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真崎駅跡。ホームや当時の駅名標、果ては構内の車止めまでもが残され、鉄道のあった時代の面影を偲ぶことができます。

 


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駅名標。字が掠れてしまってはいますが健在です。折れ曲がっている場所から裏を覗くと、なんと更に古い木製の駅名標がありました。マトリョーシカかな?

 


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そのまま飯塚方面に向かって歩き出します。廃線後の路盤を利用して整備された遊歩道が暫く続きます。

道幅はそれほど広くはありません。単線だし仕方ないかな。

 

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途中でニワトリに遭遇。でっか!というか家禽が公道に逃げ出してるの普通にまずいんじゃないですかね...飼い慣らされてはいるんやろうけど。

 


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上山田線が車道をくぐっていたトンネルです。近くには1959年8月の刻印が。

上山田〜豊前川崎間の開業が1966年なので、この辺りの路盤が着工され整備されたまさにその時に刻まれたものなのでしょう。

 


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田川郡域と嘉穂郡域をまたぐ熊ヶ畑トンネル。これを抜ければ飯塚側の熊ヶ畑駅ですが、残念ながらここで行き止まりとなっていました。

枕木がしっかりと残っています。地味ながらも、炭鉱で栄えた町々の足跡を残す良い廃線跡でした。

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