なまずのねどこ

ちょっとオタク寄りな旅の記録。B級スポットとか県境とか駅とか魚捕りとか。常にどこかに出かけていたい負け組大学生。

近くて遠い秘境の島 黒島・薩摩硫黄島の旅 2日目


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1月9日。6時半に起床。朝食の前に、役場出張所へ乗船券の購入に向かう。

懐中電灯を携えて坂を登っていると、軽トラに乗った男性に声をかけられた。

この方も乗船券を買いに行くという。お言葉に甘えて乗せていただいた。

 

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棚ぼたで離島カードの入手にも成功。

宿で朝食をいただいた後、みしまの乗船開始まで30分ほど釣り糸を垂らしたものの、朝マズメの時間帯に間に合わず坊主であった。

 

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8時ちょうどに出港。同じ黒島の大里港を経由し、隣の硫黄島まで約2時間の船旅である。宿のお母さんがお弁当を持たせてくださった。

 

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昨日とは打って変わって爽やかな冬晴れで、硫黄島の黄色い海面も色鮮やかに我々を出迎えてくれる。

 

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船は予定より少し早い10時頃に硫黄島港に入港した。昨日と同じように、島民の方々がジャンベを叩いて出迎え。

 

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役場の硫黄島出張所は港の待合所を兼ねているが、観光案内所は別の場所にあった。ジオパークを推していたりと、三島村の3島のうち最も観光色の強い島である。

 

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本日の宿は「マリンハウス孔雀の里」さん。硫黄島には鹿児島空港行きセスナ機の発着する飛行場があるが、やはり殆どの入島者はフェリーを使うため、その日の船が出た後であれば午前中であっても基本的にチェックインOKとなるようだ。

また、この時の送迎の車の中で知ったのだが、東京や沖縄などでのオミクロン株の感染拡大のため、三島村では1月12日以降当分の間観光目的での来島の自粛要請を出す方針であるという(実際その通りになった)。11日にみしまの便はないため、図らずも感染者減少による観光解禁期間の実質的な最終日に硫黄島を後にする滑り込みセーフの旅程となってしまった。

 

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荷物を置き、昼飯の弁当を食べてから島の散策へ向かう。

人口では黒島に引けを取る硫黄島だが、人家が港を中心とした1つの集落に集中しているため、急峻な地形で集落が分散する黒島よりも聊か都会的な景観を呈する。三島村の中心的な立ち位置の島として、郵便局や駐在所、小中学校などが急崖に囲まれた僅かな平地に集まっている。

 

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集落内には壇ノ浦の戦いで入水したとされる安徳天皇墓所がある。説明板には、幼くして鬼界ヶ島(硫黄島)に逃げ延びた安徳帝は66歳で亡くなるまでこの地で隠遁の生活を送ったという旨の説明があるが、眉唾…というかおそらく史実に基づいたものではないだろう。とはいえ、この硫黄島には同じ平安時代の僧・俊寛の流刑に関する言い伝えも残っており、この地域が古くは中央政権の統治の及ぶ南限に近い辺境であったことを伺い知ることができる旧跡である。

 

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少し山の方に入っていくと、野生化したクジャク(インドクジャク)の群れを見ることができた。島の方に話を聞くと、このクジャクは沖縄がアメリカ占領下にあった時代の離島ブームの名残のようだ。硫黄島でリゾート開発が行われた際に持ち込まれたものが脱走し、現代にわたるまで命を繋ぎ続けているという。クジャクが啄むために野菜が作れないということであるが、この野生のクジャクを一目見んと来島する観光客もいるようで、外来種の功罪というものをひしひしと感じさせた。

 

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島の西側、飛行場や大浦港に通じる道路からは、港周辺の集落が一望できた。この巨大な崖は鬼界カルデラの外輪山の一端をなす地質学的にも貴重なもの。ジオパークの名は伊達ではないようである。

崖の頂上へと続く坂道を登り切った後に西岸へと続く斜面は幾分緩やかで、飛行場もこの辺りに建設されている。荒れ地の向こうに黒島を望む荒涼とした風景が広がる。

 

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硫黄島南端にあたる恋人岬から、黄土色に染まった硫黄島港と噴煙を上げる硫黄岳を望む。先ほどの断崖の先端部である。

 

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来た道を少し戻り、硫黄島のもうひとつの玄関口である薩摩硫黄島飛行場へと立ち寄った。滑走路の入り口に簡素な待合所が設けられているだけのこぢんまりとした飛行場である。鹿児島空港行きのセスナ機は毎週月・水の週2運航で、運賃は片道30000円となっている。

 

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硫黄島は硫黄岳河口周辺と集落部を除いて緑に覆われているが、頻繁な火山活動や土壌の影響か、高木はかなり少ない。森林の殆どは他の2島にも共通する大名竹の竹藪と、椿畑である。ちょうど椿の花が見頃を迎えていた。

 

集落へと戻る頃には14時を回っていた。集落より東側は散策できていないが、明日の出港は昼過ぎなので、時間はたんまりある。

あの黄土色の海で魚は釣れるのかという好奇心が募り、竿とクーラーを携えて港へ向かった。

 

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硫黄島港外側の防波堤からの風景。青以外の色の海で釣り糸を垂らす機会はこの先果たしてあるのだろうか。

 

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寒さのせいか当たりは少なく苦戦したが、メギスを釣り上げすんでのところで坊主は免れた。カフェオレ色の水面の下に魚はちゃんといたのである。

硫黄島上陸時は青空だった空模様もみるみる間にご機嫌斜めになり、雨も降りだす有様。島の天気は気まぐれである。日没を前にしてあえなく撤収した。

 

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宿へ戻り、部屋でしばらくゴロゴロした後、食堂へ向かう。さかなクン硫黄島を訪れた際にこの宿に泊まったらしく、絵やぬいぐるみが飾られていた。メアジいいなぁ。

カフェオレの海で釣りあげられたスジアラの魚拓も。スジアラいいなぁ。

 

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晩ご飯は島で獲れた魚のフルコースであった。ナンヨウカイワリとクロ(クロメジナ)の刺身、イケカツオのフライ、クロの唐揚げ。特にナンヨウカイワリの刺身は本当に美味しかった。

鹿児島から工事で来ているという業者の方の3人組と、宿のお母さんを交えた魚談義で意気投合し、翌朝に車で釣りポイントに連れて行っていただけることになった。海の恵みと人の温かさに感謝感激雨あられである。